幕臣たちの明治維新 – 安藤 優一郎 (書評・レビュー・感想)

【この記事の所要時間 : 約 3 分

語られなかった歴史の真相。徳川家臣団3万人はどこへ消えたか。
第1章 徳川家の大リストラ
第2章 激動の幕末を見た御家人
第3章 静岡藩の消滅
第4章 西南戦争と江戸っ子気質
第5章 江戸ブームの到来

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書評・レビュー・感想

本書の著者は、以前読んだ「幕末下級武士のリストラ戦記」が面白かった。ということで、本書を購入。第2章の「激動の幕末を見た御家人」というのは、そのまま「幕末下級武士のリストラ戦記」の一部をコピーしたものだったのがちょっと残念だったが、「幕末下級武士のリストラ戦記」は山本政恒(やまもとまさひろ)という御徒から見た幕末であったが、今回は幕臣全員から見た幕末という意味では視点が少しずれていたので楽しめた。
知らなかったが、徳川家が静岡へ転封になるに際して、新政府は、幕臣に対して新政府に仕えれば幕臣時代の禄高も屋敷もそのままとするという沙汰を出していたようである。もちろん徳川家の分断をはかる政治的な思惑はあったかと思うが、そういう選択肢もあったのである。実際、この選択をした幕臣は割合としては少なかったが、高禄の旗本がより多くこの選択をしているというのは面白い。
もう一つの選択肢である帰農や商人になるという選択は人気がなかったようである。ほとんどの幕臣が選んだのは、最後の選択肢である無禄覚悟で静岡へついていくというものだった。徳川家はこの時、800万石から70万石へ10分の1以下に所領が減らされているため、俸禄は、三千石以上は五人扶持、千石以上は四人扶持、五百石以上は三人扶持、百石以上は二人半扶持、二十俵以上は二人扶持、二十俵未満は一人半扶持という大幅な給与カットを行っている。
その後は、廃藩置県により静岡藩が消滅し、それぞれいばらの道を歩んでいくことになる。新政府へ仕えた元幕臣も上級官史には薩摩、長州藩出身者がなっていたためさまざまな嫌がらせがあったらしいが、明治政府が時代をへるごとに整備、拡張されていくに従い、それに組み込まれていくことになる。
明治期の元幕臣の活動として有名なのが、明治22年の東京開市三百年祭を契機に発足したいくつもの元幕臣の会である。この会は、江戸会、同方会、旧交会、葵会などたくさんの会があったが、江戸時代の記録を残しておこうと機関紙の発行などが活発に行われている。
この活動も第二次世界大戦を前後として歴史の闇に消えていくが、唯一、葵会だけは戦後も活動を続けていた模様である。しかしながら、他の会と同様に葵会も高齢化が進み、会を維持していくことが難しく、自然消滅していくことになる。最後には、徳川家康を祀った日光東照宮の例大祭に参列するのは祭主の徳川恒孝夫妻だけになっている。
徳川家という明治維新の敗者の側からみた歴史というものは、教科書にのっておらずなかなか知る機会がない貴重な情報であった。時代の流れというものは非常に大きく、個人の力だけでは抗えないということを痛切に感じるとともに、江戸期について少しだけ理解が深まった気がした。

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