切腹 – 日本人の責任の取り方 – 津本 陽 (書評・レビュー・感想)

【この記事の所要時間 : 約 3 分

切腹 日本人の責任の取り方  (光文社新書)
山本 博文
光文社
売り上げランキング: 164037

『会津藩家世実記』『加賀藩史料』などの一級史料に散見される数多の切腹。そこから見えてきたのは、武士社会の特異なあり方と、現在もなお続く、日本人固有の「責任の取り方」であった。本書では、史料に埋もれた多くの“ハラキリ逸話”に光を当て、誇り高く潔い、しかしどこか辛くて切ないサムライの生き様を探索している。
第1章 ハラキリ略史
第2章 罪と罰と切腹
第3章 なんとも切ない切腹
第4章 御家騒動と切腹
第5章 藩主と家臣

スポンサーリンク
レクタングル(大)広告

書評・レビュー・感想

本書では、切腹の歴史から切腹の方法、切腹にまつわる事件など切腹に関する事柄をまとめたものである。昔から切腹はあったと考えている人もいるかもしれないが、切腹が制度化したのは、実は江戸時代からであり、それまでは切腹というのはそれほど武士の中でも頻繁に行われていたことではなかったようだ。日本における切腹の最初は、平安時代である988年に行われたといわれている。ただし、この時は、武士ではなく、盗賊が追い詰められて切腹したようである。
武士の自死の方法として広まったのは鎌倉時代以降だと言う。なぜ腹を切るのか?という疑問に対しては、新渡戸稲造の「武士道」に以下のような説がある。

特に身体のこの部分(腹部)を選んで切るは、これをもって霊魂と愛情との宿る処となす古き解剖学的信念に基づくのである。

江戸時代までは、武士の処罰は斬罪、抵抗するものは謀殺であり、切腹はあくまでも自主的なものだったようである。江戸時代に入り、武士身分が固定化してくるにつれ、武士の切腹刑というのが確立したようである。武士は自分で自分を処分することができるという観念から武士の処罰は切腹となり、自分で自分を処罰できない町人などは斬罪となったようである。
本書には江戸時代に起こった切腹事件などがたくさん出てくるが、そんなことで切腹?と思われるような些細なことでも当時としては切腹になったケースも多くあったようである。ただ本書でも分析しているように、疑いがあり、調べを受ける前に自主的に切腹すれば、家は残され、嫡子への相続が認められたという背景がある。つまり、潔白であっても疑いをかけられた時点で、家のために切腹する武士が多かったようである。潔白を証明しようと抗弁しても、疑いをかけられたこと自体が不首尾であるという論理でお家断絶になるケースもあったからである。
そういう意味ではやはり固苦しい時代だったと思わされる。

在来の習慣・風俗のうちで大半のものが、その形式や意義を失って急速に変形してゆき、もしくは消滅していく中で、武士の心を示すための、腹を切るという自害の方法も、形の上では十文字に腹を切る形式は残るが、内臓を露出するという古い意味は、発生した時代の意味を失って、単に衆人の目をひき、華々しい形をもって、勇者たることを示す、ということにとどまるようになったらしい。

このように切腹も時代によって意義が変化していったようである。

スポンサーリンク
レクタングル(大)広告
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーリンク
レクタングル(大)広告

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください