幕末下級武士のリストラ戦記 – 安藤 優一郎 (書評・レビュー・感想)

【この記事の所要時間 : 約 3 分

幕府が瓦解―。家族のためなら何でもやるぞ。畑仕事、内職、就活、のちに脱サラ。重なる失業にも屈せず、一字の虚偽もない自分史を書き残した将軍の影武者。あっぱれな生涯。

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書評・レビュー・感想

本書は、幕末の下級武士の自伝をもとに歴史家が当時の様子などを読者にむけてわかりやすく伝えるものである。主人公は、徳川幕府の御家人である山本政恒(やまもとまさひろ)である。彼は、将軍の身辺警護をする御徒であり、70俵5人扶持であった。
当時は、1石=1俵くらいが相場であり、1人扶持は1日玄米5合(年間約1.8石)で計算すると、5人扶持は、9石=9俵にあたるので、70俵5人扶持は、およそ79俵に相当する。79俵は32両ほどで、1両は10~20万円ほどだったので間をとって1両=15万円で計算すると、年収は現代でいえば、480万円ほどであったことがわかる。
本書は、この御家人・山本政恒が書いた自分史をもとにしているが、1841年に御徒一番組の山本理左衛門の三男として下谷(台東区上野)に生まれ、16歳で元服して番入りしている。その後は、桜田門外の変や大政奉還、上野戦争などを経て、徳川家が駿河・遠江70万石に転封になったのに伴い、静岡へ赴いている。廃藩置県後は、浜松県の役人になるが、免職になり、35歳の時に熊谷県の役人に転職し、そこで15年勤務するも非職となり、小間物屋と紙張物屋をはじめている。年額107円の恩給の支給に伴い、帝国博物館に勤務することになるが、免職願いを出し、日本美術院の書記となっている。この時60歳。61歳の還暦の祝宴の時に本書の元となる「政恒一代記」の草稿が完成し、親戚一同に出版することを宣言しているが、なかなか完成せず、70歳にてようやく「政恒一代記」の前編が完成。72歳で「政恒一代記」の付録が完成し、「政恒一代記」後編は未完のまま、76歳(大正5年)で死去している。
幕臣といういわば敗者の側から書かれた当時の歴史であり、官軍となった薩長軍が歴史の中で有耶無耶にしてきた部分についても書かれており、新しく知ったことも多かった。
徳川家が駿河・遠江70万石に転封になった際、800万石から70万石への転落であったので、徳川家は大幅なリストラが必要となっており、当時徳川家は家臣に対して今後の身の振り方として3つの選択肢を提示していたとのこと。
それが、
1.新政府に帰順して朝臣、つまり政府に出仕する
2.徳川家に暇願いを出して、農業や商売をはじめる
3.無禄覚悟で新領地静岡に移住する
の3つである。
実際、山本政恒は、この最後の3つ目を選んでいるが、この選択を選んだ家臣が最も多かったとのこと。この時に2を選び、農業や商売を始めている武士から武士の商法とよばれるような失敗・没落が始まっている。
その後についても本書には、現代に通じるリストラや転職などの中でなんとか家族を養っていこうとする男の姿が描かれている。とても面白く読んだ。
以下、参考までに!
会社を辞める前に知っておきたい失業保険のあれこれ

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