佐竹義重 – 近衛 龍春 (書評・レビュー・感想)

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「退け!逃げよ。彼奴は人でなし。鬼じゃ!」―瞬く間に7人を斬り捨て、北条軍2万を潰走せしめた常陸の戦国大名、佐竹義重。「鬼佐竹」「板東太郎」と諸国に怖れられ、伊達政宗さえも討ち取る寸前にまで追い込んだ。長年「半国守護」の屈辱を味わってきた佐竹氏だが、義重の登場で常陸統一を果たし絶頂期を迎える。守護職の誇りをかけて、乱世を戦い抜いた男の生涯を描く。

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書評・レビュー・感想

佐竹義重は、父の代からの流れで上杉謙信と連携し、北条氏の関東支配に抗していたが、謙信死後は、秀吉と懇意にして北条を牽制し、小田原の役で北条氏が滅びると、常陸54万石を支配することになる。その後は、嫡子の義宣に家督を譲り、隠居するが、関ヶ原の戦いでは義宣と意見が対立する。本書ではこのあたりの部分はあまり書かれていない。
秀吉の北条攻めの少し前までの佐竹義重に多くのページが割かれている。名族に生まれ、実際に聡明でもあったため幼少の頃から戦、戦の連続であった状況が描かれている。しかしながらそんな佐竹義重も攻めても城を落とせずに帰るということを結構長く続けている。それだけ城攻めは難しいのかもしれない。反面、北条との野戦では軍勢の少なさをものともせずに北条を何度も撤退させている。このあたりの戦いに本書は力を入れている。
関ヶ原の戦いでは、義宣と意見が対立したため佐竹家は日和見を決め込み、秋田へと国替えさせられることになる。このときには石高は決められていなかったらしく、佐竹家の実際の石高が正式に決まったのは、なんと関ヶ原の戦いから64年後の1664年である。
石高は、20万5800石であった。
実に秋田入国から62年目であったとのこと。

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