滝川一益 – 徳永 真一郎 (書評・レビュー・感想)

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書評・レビュー・感想

滝川一益という武将は、信長全盛期には登場するが、本能寺の変後はほとんど他の書籍には登場しなくなる。本能寺の変後にどういう動きをして、どういう最後を向かえ、子孫はどうしているのかを知りたくて本書を読んだが、ちょっと残念だった。なぜならば、本書にはあまり滝川一益が登場しないからである。滝川一益という表題なのに、滝川一益が登場しないの?と思うかもしれないが、実際そうなのである。滝川一益が登場するのは10~15%程度である。非常に不思議な本であった。
ただ今までよくわかっていなかった部分を詳しく書いてあったのでそういう意味では悪書ではない。たとえば、信長の次男・信雄、三男・信孝については、本能寺の変後の話にはよく登場するが、それ以前についてはあまり他の書籍には載っていなかったので、本書で詳しく知ることができた。
次男・信雄は、織田信雄または、北畠信雄といわれるが、なぜ北畠姓になったのかについても本書で触れられている。信長は伊勢攻めにおいて、伊勢国司であった北畠具房が降伏した際、信雄に北畠家の家督を譲ることで和議が成立している。伊勢国司はわざと継がなかったようである。
そして、三男・信孝は、織田信孝または、神戸信孝といわれるが、こちらもなぜ神戸姓になったかについて本書に書かれている。伊勢は、当時、北を関、梅戸、千種、赤堀、神戸、工藤氏ら48家に上る有力な勢力が割拠して治めており、南を北畠国司家が治めていた。信長が伊勢攻めの際にまず北部から攻めているが、はじめに神戸氏が守る神戸城を攻めている。その際、城主の神戸下総守と和議が成立し、条件として、信孝を神戸氏の養子にしている。神戸氏との和議成立後、北部のほかの諸城はつぎつぎに信長に降伏している。
本書は、信長の伊勢攻めが終わり、伊勢の隣である伊賀との戦いに大部分を割いている。この伊賀攻めには滝川一益がほとんどかかわっていないことから題名と内容とにギャップがうまれるもとになっている。この伊賀攻めの主役は織田信雄であり、信雄の家老であり、滝川一益の養子であった滝川三郎兵衛である。著者は滝川一益というよりも伊賀について書きたかったように見受けられる。それほど、伊賀や伊賀、甲賀の忍者などについての記述が多い。
一応、本書の主人公である滝川一益は、武田勝頼を攻め滅ぼした功で、関東管領の職と関東に約50万石の領地を与えられているが、すぐに本能寺の変がおき、清洲会議にも間に合わず、信長の遺領分配から外されて、旧領・伊勢長島のみにされている。ここでは、滝川一益の縁戚である池田恒興にいっぱい食わされたように本書では書かれていた。秀吉が柴田勝家を倒した後、滝川一益は秀吉に降伏している。秀吉は堪忍料として五千石を一益に与え、越前・大野郡で閉居させている。その3年後に滝川一益は、62歳で亡くなっている。
滝川一益という題名の本であれば、この後、一益の子孫について触れて終わるのが通常であるが、なんと本書では、滝川一益が死んだあと、一益とまったく関係のない「その後の伊賀」というページがなんと38ページ続き、それで終わっている。
この構成を見ても著者は、滝川一益ではなく、伊賀について書きたかったものと考える。しかし、伊賀という題名では出版社で出せないことになったので、無理やり滝川一益という題で出しているのかもしれない。内容が悪くないだけに、内容と題名がここまで違う部分がとても残念である。

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