黒田長政 – 近衛 龍春 (書評・レビュー・感想)

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黒田長政―関ヶ原で家康に勝利をもたらした勇将 (PHP文庫 こ 40-8 大きな字)
黒田長政

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近衛 龍春
PHP研究所

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書評・レビュー・感想

黒田長政(幼名:松壽丸)は、織田家に父親が帰属する際に人質として羽柴秀吉に預けられることになる。そして秀吉が本格的に毛利攻めする少し前に15歳で元服している。
その後、毛利攻め、本能寺の変後の明智光秀との戦い、賤ヶ岳の戦いなどに参加し、賤ヶ岳の戦いの戦功により黒田官兵衛とは別に450石の知行が与えられている。
秀吉と家康との対立で始まった小牧・長久手の戦いでは、家康と結んだ紀伊の雑賀、根来衆への防衛のために中村一氏が守る和泉・岸和田城へ援軍として赴いている。この戦いでの戦功により、秀吉から2千石が加増されている。(この時、黒田官兵衛は、2万石加増され、4万石になっている。)
九州討伐では、長政の加増はないが、黒田官兵衛は、4万石から12万石へ加増されている。(実際は、秀吉が軍役負担などを軽くしてやるため実地検知を行わなかったため12万石と表向きなっているが、実質は18万石の領地であった)
その後、以前、九州戦国志で読んだ大分県と福岡県の境界付近を治めていた城井流宇都宮氏の最後を描いた高橋直樹の「城井一族の殉節」を宇都宮氏側からではなく、黒田家側から見た戦いの様子が本書では描かれている。
ここまではかなり順調にきていたが、2度の朝鮮役で大陸へ渡り、戦うはめになった数年間は長政本人も黒田家も先が見えない苦しい日々が続くことになる。その日々を大きく転換することになるのが秀吉の死である。ここから黒田長政は、今までの勇の武将から知の武将へと大きく転換するような動きを見せ始める。時代の流れを読み、豊臣から徳川へ他の武将に先駆けて大きく舵をきり、関ヶ原の戦いが終わるまで裏で暗躍することになる。
この功績により、関ヶ原の戦いの後、筑前52万3千石の大大名になっている。本書では、ここで物語が終わっているが、その後、20年以上長政は生きているので、その後についても書いてほしかった。

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