JUTTA HIPP – At The Hickory House Vol.1

【この記事の所要時間 : 約 2 分

ヒッコリー・ハウスのユタ・ヒップ Vol.1
ユタ・ヒップ
EMIミュージックジャパン (2009-06-10)

ユタ・ヒップの作品であり、ベースがピーター・インド、ドラムがエド・シグペンである。
ユタ・ヒップ

1955年、ヒップはアメリカ合衆国に移住する。ドイツ時代から彼女を賞賛していた評論家レナード・フェザーの力添えで、彼女はブルーノート・レコードと契約する。彼女はヨーロッパ系の女性ジャズピアニストとしてジャズ界で注目を浴びる。1956年4月5日にジャズクラブ「ヒッコリー・ハウス」で録音されたライヴを収録した「ヒッコリー・ハウスのユタ・ヒップ 」(vol.1とvol.2)は彼女の代表作として人気が高い。
ズート・シムズとの共作「ユタ・ヒップ・ウィズ・ズート・シムズ」の録音後、彼女は音楽業界から突如引退する。小規模のクラブでの演奏を好んでいた事、極度のあがり症であった事、音楽で生計を立てる事にあまり関心が無く、自分が感銘を受けない音楽を演奏・録音する事に気乗りがしなかった事などが原因とされている。ヒップはレコーディングをやめた後も演奏活動を時折行っていたものの、1960年以降、彼女の関心は音楽から絵画へと移ってしまう。
2003年4月6日、ニューヨークのクイーンズ区にあるアパートの自室で死去。78歳。生涯独身であった。

ユタ・ヒップといえば、非常に短期間だけ活躍したドイツ人ピアニストであり、本作品は、1956年に半年間だけ在籍したヒッコリーハウスで演奏したものを録音している。しかしながら個人的には好きなピアニストであり、「Dear Old Stockholm」や「Lady Bird」、「The moon was yellow」など哀愁漂う演奏からアップテンポなバップ色の濃い演奏まで幅広い。
もともと美術学校で絵画を学んでいたヒップであるが、第二次世界大戦後にミュンヘンにてコンボでの活動をスタートしている。その後、1954年にアメリカへ移住し、1956年からは音楽シーンからぷっつりと姿を消す。その後にわかることだが、1956年以降は、紳士服裁断工場に勤務しながら絵画を描き、アーティストとして作品を描いていたようである。

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