素人がゴルフをすることの目的

【この記事の所要時間 : 約 4 分

内田樹先生の昨日のブログに、失敗の効用というエントリーがなされていて、素人がお稽古することの目的について述べられていてなるほどなるほどと頷首しながら拝見した。

1960年代の初めまで、日本の会社の重役たちは三種類くらいの「お稽古ごと」は嗜んでおられたのである。なぜか。私はその理由が少しわかりかけた気がする。それは「本務」ですぐれたパフォーマンスを上げるためには、「本務でないところで、失敗を重ね、叱責され、自分の未熟を骨身にしみるまで味わう経験」を積むことがきわめて有用だということが知られていたからである。本業以外のところでは、どれほどカラフルな失敗をしても、誰も何も咎めない。そして、まことに玄妙なことであるが、私たちが「失敗する」という場合、それは事業に失敗する場合も、研究に失敗する場合も、結婚生活に失敗する場合も、「失敗するパターン」には同一性がある、ということである。

すべての失敗にはくろぐろと私固有の「未熟さ」の刻印が捺されている。だからこそ、私たちは「自分の失敗のパターン」について、できるかぎり情報を持っておくべきなのである。そして、そのパターンを学ぶためには、「きわめて失敗する確率の高い企て」を実行するのだが、どれほど派手な失敗をしても「実質的なペナルティがない」という条件が必要なのである。

素人がお稽古することの目的は、驚かれるかもしれないが、その技芸そのものに上達することではない。私たち「素人」がお稽古ごとにおいて目指している「できるだけ多彩で多様な失敗を経験することを通じて、おのれの未熟と不能さの構造について学ぶ」ことである。それは玄人と目指すところが違う。玄人は失敗すれば職を失い、路頭に迷う可能性があるけれど、素人はそれがない。私たち素人が玄人に対して持っている「アドバンテージ」はまさにそれだけなのである。「それだけ」だとすれば、「それこそ」がお稽古ごとすべてに貫流する教化的な要素だということは論理的に推論せらるるのである。

個人的には、お稽古ごとと呼べそうなものは「ゴルフ」であるが、たしかにゴルフで大叩きし、大失敗しても接待ゴルフ(本業の一部)でもないかぎりは、本業への影響はない。そして、これまたゴルフでは顔から火がでるほどの失敗を数々おこなってしまう。そしてその失敗のパターンというのは個人の特徴をよく表している。ゴルフはナイスショットを数多くするスポーツではなく、ミスを減らすスポーツである。つまりは、それだけミスする確率が高いスポーツともいえる。そのミスは、マナー違反からダフリ、トップ、シャンク、ライン読み違い、ペナルティ処理などさまざまなバリエーションで、さまざまなクラブで発生する。ゴルフをある程度やったことがある人ならわかると思うが、まさに「失敗を重ね、叱責され、自分の未熟を骨身にしみるまで味わう経験」をする。それによって本業のパフォーマンスが向上するのかどうかは定かではないが、本業がある程度うまくまわっていないとゴルフをすることもできないのでそういう効果があるのかもしれない。
たしかにゴルフを始めて、自分の失敗のパターンについて多少の情報を持つことはできたかと思う。これだけでもゴルフをやっている価値はあると普段から思っていたので、内田先生のエントリーに頷首した次第である。

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