高度経済成長は復活できる – 増田 悦佐 (書評・レビュー・感想)

【この記事の所要時間 : 約 3 分

スポンサーリンク
レクタングル(大)広告

書評・レビュー・感想

増田悦佐氏の著書である。高度成長は石油ショックで終わったのではなく、田中角栄の登場で死んでしまったと説く。高度成長の主役は都市の製造業であったのに、都市が実現した経済成長の果実を農村に有利に再配分。公共投資を都市から経済効率の悪い地方へ傾斜配分することで、地方から都市への人口移動の激減を招き、成長率の急激な低下をもたらしたのが原因という。高度成長を殺したのは田中角栄であると告発しながら、人を大都市に集めれば再び日本は高度成長へ復活できると提言している。
本書では、弱者保護の名の下に利権政治を集大成した田中角栄がどのようなことを行ったのかが書かれている。大まかには以下の文章に著者の言いたいことがざっくりと含まれているかと思う。

大都市圏と地方との経済格差をちじめることには成功した。だが、それはまさに「手術は成功したが、患者は死んでしまった」というような成功だった。奇跡とよばれた日本経済の高度成長を、低成長に引きづりおろすかたちで平準化したからだ。「もしこうした努力がなければ、今でさえ深刻な過疎問題はさらに深刻になっていただろう。だから、経済的利害得失だけで全総路線は評価できない」という人がいるかもしれない。しかし、経済的機会に恵まれた大都市圏への移住の自由が保証されている限り、過疎問題は国や自治体の予算を使って解決すべき経済・産業問題ではない。数百万人の人間がいるところと数千人しか人間がいないところでは、社会基盤の充実度が違うのは当たり前だ。充実した社会基盤の恩恵に浴したい人は都会に出てくればいいし、不便でものんびりした田舎に住みたいという人は地方にとどまっていればいい。田舎の澄んだ空気や静かな環境の恩恵に浴しながら大都会並みの社会基盤の利便性もよこせというのは無いものねだりに過ぎない。こうした無いものねだりが正論としてまかり通ってきたのが、1970年代半ば以降の日本経済の成長鈍化の一因だった。

過去の高度成長の時代に生きていたわけではないので、あとから当時はこうだったというのを歴史の一部として知るだけの立場としては、なるほどこういう見方もあるのかと非常に新鮮だった。日本の土建国家という面と高度成長とは関連しないどころか、正反対というのは驚きではあったが、著者が示したデータを信じるならば、たしかにその通りかと思う。
また著者の提言にあるように、大都市(東京)を高階層住宅化することによって人口密度を高め、それによって職住近接によって通勤時間を短縮し、保育所や幼稚園などの育児施設を充実させることによって、共働き率を上げることにより労働環境を良くするというのは経済の高度成長化に必要かと思う。そのためには、高階層住宅、鉄道、育児施設などにもっと予算を重点配分する必要があるかと思う。奥地に高速道路を作る予算があるなら、山手線ならびに、環状線の複々線化に回してもらいたいと切に思う。
こういった都市部への予算の重点配分をマニュフェストへ入れた政治家が登場しないものだろうか。

スポンサーリンク
レクタングル(大)広告
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーリンク
レクタングル(大)広告

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です