広島の小1女児殺害事件について

【この記事の所要時間 : 約 2 分

広島の小1女児殺害事件について考えてると
レヴィナスの『困難な自由』が頭に浮かんだ。

暴力の告発は、翻って別の暴力、別の傲慢を創始する危険がある。それが疎外であり、スターリン主義である。

私たちの時代はたしかに非暴力の価値について、あらためてその理を説かれなくても、熟知している。しかし、ここにはおそらく受動性についての、卑劣さでないある種の弱さについての、他者に強いることの許されぬ種類の忍耐についての省察が欠如している。

この事件がきっかけで日系人または異邦人に対する疎外が強まることを懸念している。
事件の原因は人種ではなく、犯人その人にある。
メディアでは、「ペルー人」「日系ペルー人」「日系ではないのではないか?」などといった報道がされているが、本質ではないと思うし、そこにスポットを当てるべきではないと思う。琴欧州を例に出すまでもなく、海外から日本にやってきて活躍している人たちもたくさんいる。その人次第で、人種が問題ではないはずだ。
ユダヤ人のレヴィナスは人種問題で「他者に強いることの許されぬ種類の忍耐」について熟知していたはずだ。
メディアは、「暴力の告発による別の暴力、別の傲慢を創始する危険」についての省察を行っているだろうか?
それが暴力を告発するものの最低限のマナーなのではないだろうか?
特に、外国人労働者問題のようなリスキーな問題に触れるものであるのならば。

人種の問題―アメリカ民主主義の危機と再生
コーネル・ウェスト
新教出版社
売り上げランキング: 609,026
スポンサーリンク
レクタングル(大)広告
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーリンク
レクタングル(大)広告

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください