大人のいない国―成熟社会の未熟なあなた – 鷲田 清一,内田 樹 (書評・レビュー・感想)

【この記事の所要時間 : 約 2 分

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書評・レビュー・感想

鷲田先生と内田先生の対談本である。
鷲田先生はプロローグで本書のおおきな方向性を述べられていた。

ひとはもっと「おとな」にあこがれるべきである。そのなかでしか、もう一つの大事なもの「未熟」は、護れない。われを忘れてなにかに夢中になる、かちっとした意味の枠組みに囚われていないぶん世界の微細な変化に深く感応できる、一つのことに集中できないぶん社会が中枢神経としているのとは異なる時間に浸ることができる、世界が脱臼しているぶん「この世界」とは別のありようにふれることができる、そんな、芸術をはじめとする文化のさまざまな可能性を開いてきた「未熟」な感受性を、護ることはできないのである。

成熟の反対が未熟なのではなく、成熟しなくては未熟を護れないと鷲田先生はいう。内田先生は、すべての人が「大人」である必要はないが、すべての人が「子ども」であれば、その社会システムが不調になれば、誰がシステムのメンテナンスを行い、新しい制度設計の青写真を描くのか?と説く。そして現在の日本の問題は、そういうことを行う少人数の「大人」の育成をどうやって制度的に担保するかであるという。
大人のいない国というのはある意味、幸せな国なのかもしれないが、それはある瞬間のスナップショットではそうかもしれないが、長いスパンで将来を考えるとそうではないと思う。内田先生がいうような少人数の「大人」を育成するためには、「大人」に「成熟」に憧れる社会というのが必要なのかもしれない。
「大人」に憧れ、「成熟」に憧れる社会とはいったいどういう社会なのだろうか。成熟社会の未熟な私ではわからないのかもしれない。

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