ここは退屈迎えに来て – 山内 マリコ(書評・レビュー・感想)

【この記事の所要時間 : 約 3 分

地方都市に生まれた女の子たちが、ため息と希望を落とした8つの物語。フレッシュな感性と技が冴えわたるデビュー作は、「R-18文学賞」読者賞受賞作「十六歳はセックスの齢」を含む連作小説集。

<くすくすと笑いが止まらないのに、いつのまにか切ないこの気持ちは何?>

全然パッとしない自分も、行き当たりばったりに無意味に過ぎていく人生も、東京の喧騒にごたまぜになれば、全部それなりに格好がついて見えた。ヒールで街を闊歩するようなキラキラした気分、広く浅くの友人知人との、楽しいようなそうでもないようなわいわいした時間。でもそんなのは、もうぜんぶ嘘か幻みたい。いまはこの、ぼんやりトボけた地方のユルさの、なんとも言えない侘しさや切実な寂しさだけが、すごくすごく、本当に思えた。
――「私たちがすごかった栄光の話」より

24時間営業のファミレスは、あたしたちと似たような境遇の暇な若者でいっぱいだ。ナイロンジャージにスウェットパンツの、引くほど行儀が悪いヤンキーカップル。ときめきを探している女の子、携帯をいじってばかりの男の子、テンションの低い倦怠期カップル。そんなくすぶった人々。若さがフツフツと発酵している音が聞こえる。フロアの通路を歩くときは毎回、品定めするような尖った視線を浴びる。知ってる奴じゃないかチェックしてるのだ。みんな誰かに会いたくて、何かが起こるのを期待してるんだと思う。あたしだってそう。
――「君がどこにも行けないのは、車持ってないから」より

都会に出てから本当に生きられる気がしている。人生がはじまると思っている。都会に出て、誰の力も借りずに、自由にのびのび生きたい。ちょうどまなみ先生が、あの深緑色のオプティのハンドルを握って、好きな音楽をかけ、ギュゥンとアクセルを踏み込むように――あんなふうに自分の船を自分で漕ぎたい。
――「東京、二十歳。」より

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書評・レビュー・感想

以前読んだ、山内マリコ作品が良かったので、デビュー作を読んでみようと手にとってみた。

とても上手に田舎の女のことたちについて書いたローカル小説である。
短編連作となっており、章ごとに主人公が変わるが、時系列が反対になっているのが面白い。この構成によって、タイムスリップしているように感じた。

主人公はすべて地方で停滞感を感じている女性であるが、どの章にも共通して出てくる男性がおり、この人物が章を薄くつなげている。各章の主人公に繋がりが薄いが、そのあたりも地方の現実的な感じがでていて良かった。

都会でずっと育った人にはわかりにくい、共感しにくい物語かもしれないが、そうでない人には特定の人物に身近な知人、友人(自分を含めて)を当てはめられるかもしれない。淡々とした内容だが、現実感がある。

「ここは退屈迎えに来て」というタイトルも練られたものだろう。

迎えに来てくれる人なんていないとわかってしまった年齢から希望をもっていた少女時代へ少しづつタイムスリップしていく連作小説。小説として具体化しているが、ある部分ではきっちりと抽象化しているからこそ多くの人が共感するのだろう。

ローカルガールを書かせたら、今一番筆が冴える作家かもしれない。

どの章にも共通して出てくる男性である椎名くん。
あーそういう奴いるなあ~と多くの読者が思い描く人物像。
自分の椎名くんを思い出した女性読者も多いかもしれない。

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