奄美大島の旅 – 西郷南洲流謫跡へ行ってきた!

【この記事の所要時間 : 約 3 分

1859年1月に32歳の西郷隆盛は、砂糖運搬船「福徳丸」から、奄美大島の龍郷阿丹崎の地に降り立った。理由は、島津斉彬が急死し、藩主となった島津久光から奄美大島に潜居を命ぜられたためと言われている。

西郷隆盛は、潜居の3年間に奄美大島の龍郷で、龍家の愛加那を妻に迎え、後の京都市長ある菊次郎と菊子の二人をもうけている。愛加那は、島妻という立場で、鹿児島にいる本妻とは別の存在である。

そんな西郷と愛加那が過ごしたのが、西郷南洲流謫跡である。

西郷南洲流謫跡では、西郷隆盛ゆかりの品や、勝海舟から贈られた碑文などが展示されていた。ちなみに、「謫居(たっきょ)」とは、罪によって自宅に引きこもったり遠くの土地に流されたりすることを意味する。

西郷南洲流謫跡は、個人が所有・管理している施設で、敷地も私有地となっているが、見学することが可能で、入場料金は、小中学生100円、高校生以上200円である。開館時間は、午前10時~午後4時30分で、オジサンがガイドとして説明してくれた。

当時は、薩摩藩に島妻制度というものがあり、島で正式な婚姻を行っても、本土に戻る時には、連れて帰ってはならないということになっていて、いわば、一時妻のような形が島妻という立場であったとのこと。

調べてみると、奄美に赴任して来た薩摩役人の「島妻」を「あんご」と言うらしく、島側にとっては、女性を薩摩役人に提供することで、その統治を緩和させることが期待するとともに、役人と島妻の間に産まれた子どもが将来、島役人になるという島妻の一族としての恩恵もあったようである。

薩摩藩士の現地妻である島妻になるということは、島の人間にとって階級上昇のまたとないチャンスだが、それゆえに、今でも奄美の人たちは、島妻に対しては複雑な想いを抱いているとのことだった。

島妻制度があった時代ということもあり、西郷隆盛の島妻となった愛加那の龍家も龍郷町一体では有力な家だったとのことでそういった歴史背景があると思われる。

非常に質素な家であり、天井も低く、あの西郷隆盛が過ごしたとは思えない家であったが、謫居中ということを考えれば、なるほどとも感じた。

つづく.......

奄美大島を舞台にした満島ひかり主演の映画「海辺の生と死」が2017年7月29日から全国ロードショーとのこと。とても楽しみ!

「海辺の生と死」のあらすじはこちらを見てくださいね!

映画「海辺の生と死」は、島尾ミホの同盟小説と、夫の島尾敏雄の「島の果て」を原作としている。

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