秋田の旅 – 久保田城跡へ行って来た!

【この記事の所要時間 : 約 3 分

秋田藩は、佐竹氏が治めた藩であるが、佐竹氏は、源氏の流れをくむ名門であり、全国の大名の中でも古い歴史をもつ大名である。関ヶ原の戦いの後、秋田に転封された佐竹義宣は、久保田の地に新たに城を築いた。それが久保田城であり、現在は久保田城跡として公園になっている。

久保田城跡は、現在は、千秋公園という名称になっており、当時をしのぶものはあまりないが、御物頭御番所や御隅櫓などをみることができた。

久保田城は、石垣や天守閣を持たない平山城であったことが特徴であるが、1896年に近代公園設計の先駆者である長岡安平の設計により公園として整備され、秋田県出身の漢学者・狩野良知が千秋公園(当時は「千秋園」)と命名。その由来は、秋田の「秋」に長久の意の「千」を冠し、長い繁栄を祈ったものらしい。1984年に佐竹氏15代義榮氏の遺志によって秋田市に寄贈されたとのこと。

こちらが「二の丸跡」である。

東屋がいくつ配置されていた。

ざっと全部を見回るのに約1時間という感じだろうか。

こちらが、「胡月池」である。
公園の設計者が最初に造築した池であり、雪見灯篭や噴水があった。

少し時期をはずしたが、4月中旬から下旬に桜、5月中旬から下旬がつつじといった花まつりがあるとのこと。

こちらが「長坂門跡」である。

表門から二の丸を見た風景。

こちらが表門である。

表門は、一の門とも呼ばれており、本丸の玄関口となっている。

佐竹家の家紋がしっかりと。

さすが20万石の城の表門という威風堂々とした構えである。

こちらは、佐竹義尭公銅像である。

佐竹義尭は、第12代藩主で、最後の藩主でもある。

こちらは、「御隅櫓」である。
もともとは物見と武器庫として利用していた建物を市制100周年事業として移築し、観覧料を払えば、中にも入れる。

100円の観覧料で佐竹家や秋田の歴史を学べる。

佐竹家歴代の当主たち。

歴史年表。

佐竹家が清和天皇に繋がる清和源氏であることを示している。

当時の久保田城のジオラマ。

秋田藩の姿として当時の領地。

上に登れば、秋田市内を一望できる。

中にはTVがあり、7分程度のビデオ映像をみることもできた。

秋田市内をぐるりと一望。

秋田市内をぐるりと一望。(2)

秋田市内をぐるりと一望。(3)

展望台の中はこんな感じ。

展望台の中はこんな感じ。(2)

久保田城は、石垣をほとんど用いず、土塁で築かれていた。これは、佐竹氏の旧領である関東地方では、土塁を主体とした築城術が一般的であったためと考えられている。

千秋公園(久保田城)はいろいろな100選に選ばれており、日本さくら名所100選、日本の都市公園100選、日本の歴史公園100選などがある。

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