山種美術館に「日本画の教科書 東京編」 を見に行ってきた!

【この記事の所要時間 : 約 4 分

今年は、西洋画だけでなく、日本画にも手を出してみようと考え、その第一弾として、先月、日本初の日本画専門美術館として開館した山種美術館の「日本画の教科書 京都編」を見に行ってきたが、とても楽しかったので、第二弾として、「日本画の教科書 東京編」にも行ってみた!

「日本画の教科書 東京編 ― 大観、春草から土牛、魁夷へ ―」

開館50周年記念特別展の最後を飾る本展では、前回展の「京都編」に続き、「東京編」として東京画壇の日本画家の作品をご紹介します。

激しい近代化の波が押しよせた明治時代、画家たちは新しい日本画のあり方を求めて模索していました。 東京美術学校の岡倉天心による指導のもと、横山大観、下村観山、菱田春草らが古典研究を重視しながらも、時代にふさわしい画題や表現を追求していきました。天心によって1898(明治31)年に創設された在野の美術団体・日本美術院は、紆余曲折を経ながらも現在まで続き、小林古径、安田靫彦、奥村土牛、平山郁夫など、数々の著名な画家を輩出しています。一方、1907(明治40)年、初の官営の美術展覧会として始まった文展は、日本画の近代化の上で重要な役割を担い、帝展、戦後の日展へと継承され、川合玉堂、東山魁夷、杉山寧、髙山辰雄など多くの画家が活躍する舞台となっています。本展では、院展と日展の日本画家の作品を中心に、東京画壇の歴史に名を刻む主要な作品を一堂に展示いたします。

当館の創立者で初代館長の山崎種二は、戦前・戦後を通して同時代の画家たちを支援し、直接交流しながらそのコレクションを築いていきました。開館のきっかけは、大観の「世の中のためになることをやったらどうか」という言葉であり、また周年などの節目の年に、画家たちが種二の依頼で揮毫した作品が当館コレクションに加わるなど、50年の歩みの中には、画家たちとの交流の軌跡が残されています。美術の教科書に登場するような名品の数々と、当館創立者・山﨑種二と画家とのエピソードを交えながら紹介し、近代から現代にいたる東京画壇の歩みをご覧いただきます。

「日本画の教科書 東京編 ― 大観、春草から土牛、魁夷へ – 」は、2017年2月16日(木)~4月16日(日) まで開催されている。2016年に創立50周年を迎えた山種美術館が、これを記念して、創立者・山﨑種二のコレクションから明治以降を代表する日本画を厳選したものが展示されている。日本画の中でも特に「東京画壇」にスポットを当てた作品がメインであり、「日本画の教科書」と題された通り、日本の近代絵画を語る上で欠かせない名画ばかりが揃っていた。

見所は、横山大観の「心神」だと聞いていたが、いまいちピンと来なかった。下村観山の「老松白藤」の方が力があって印象的だった。

下村観山の「老松白藤」以外でよかったのは、菱田春草「釣帰」、橋本明治「朝陽桜」、奥村土牛「鳴門」、 奥田元宋「奥入瀬(秋)」の4点。菱田春草「釣帰」は、日本の印象派というか「朦朧派」らしい刺激的だった。橋本明治「朝陽桜」はイラストのようなコミカルな絵柄だが、インパクトがあった。奥村土牛「鳴門」は近くでみるとよくわからないが、遠くから見ると大迫力の渦潮にみえるという鑑賞方法が印象派みたいで面白かった。奥田元宋「奥入瀬(秋)」はホテルなどに飾っているととてもよさげ。赤が印象的。

とても良かった。

Wikipedia – 朦朧体

朦朧体(もうろうたい)または、縹緲体(ひょうびょうたい)は、明治時代に確立された没線彩画の描絵手法。日本画の新しい表現の試みであったが、明瞭な輪郭をもたないなど理解されず評論家からは悪意をもって呼ばれた。岡倉覚三(天心)の指導の下、横山大観、菱田春草等によって試みられた没線描法である。洋画の外光派に影響され、東洋画の伝統的な線描技法を用いず、色彩の濃淡によって形態や構図、空気や光を表した。絵の具をつけず水で濡らしただけの水刷毛を用いて画絹を湿らせ、そこに絵の具を置き、空刷毛で広げる技法、すべての絵の具に胡粉を混ぜて使う技法、東洋画の伝統である余白を残さず、画絹を色彩で埋め尽くす手法などが用いられた。西洋絵画の浪漫主義的風潮を背景とした造形と正面から対峙し、日本画に近代化と革新をもたらしその影響は大きい。

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