お客様は子どもである – (書評・レビュー・感想)

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書評・レビュー・感想

「お客様は神様」ではなく、「お客様は子ども」であるというユニークだが、なるほど!と思わせる記事があった。非常に納得感があり使えそう。
お客様は神様でない – 研究員のココロ(日本総研)

「お客様は子と思え」は、かなり「使える」考え方だと思う。身近で奇をてらっていない上、そこから導き出されるイメージも豊かで奥行きがある。子を持ったことのない若い販売員には理解しがたいかもしれないという懸念はあるが、少なくとも芸人、役者、伝道師という言い方よりは、「親が子に接するようにお客様に接しろ」というほうがわかりやすいし、より包括的な概念になっていると思う。
 だから、これはかなりオリジナルな発見ではないかと独り悦に入っていたある日、なんと、三越百貨店に伝わる「小僧読本」の中に、同様の記述があるのを知った。以下がその部分の引用である。

御客様は子供の如し。余念なく子供衆と見よ。三越の小僧はその御相手と思えば間違いなし。いかなる難題も柳に風と受け、笹に雪とこたえ、在店中はいかにも楽しく愉快に、観覧娯楽に身も心も堝化するまでに仕向けざるべからず。入店の折は家庭に不幸、煩悶、憤怒、不機嫌等のありたるのも店を出ずる際には、「あゝ是で気持ちがさっぱりした。三越で遊んだので心の底まで愉快になった」と思はすに至れば、三越の繁栄実に今日の比にあらざるべし。
これ小僧の心懸一つにて、御客様をかほど迄に思はしめ、延いて三越の盛大を至すとせば、三越の小僧たるもの、寸時も油断せず一々御客様の脈をとらぬまでに、親切、用意、慇懃、正直、機敏、あらゆる匙加減を用うべきなり。

 既に100年近く前に、天下の三越が、「お客様は子供と同じようなものだから、子供だと思え。三越の販売員である『小僧』は、『子供』を御相手するのである」と言い切っているのである。自らのことを「小僧」と称すことで、お客様のことを「子供」と言っても全然失礼な感じがしない点もさすがである。
 何もない文脈で、「お客様は子と思え」と言ったら、お客様を馬鹿にしているような誤解を与えてしまいかねない。しかし、「我が子と思え」なら、愛情がこもった言い方になるから、その心配もないと思う。小売・サービス業に携わる経営者の方々は、接客の質を高めようと思ったら、これからは「お客様を我が子と思え」と言ってみたら良いと思うのだが、どうだろうか。

以前から「お客様は神様」的言説には違和感があったので、その違和感とそれに変わる言葉を提示してもらったようで非常にうれしい。さすが三越。
リッツ・カールトンでは、どうなっているのだろうか?ちょっと気になる。
たぶんクレドに定義されているはずなんだけど・・・

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