黒テント第63回公演 『鉄砲玉』を観てきた。

【この記事の所要時間 : 約 12 分

teppoh_chirashi.jpg
黒テント第63回公演 『鉄砲玉』 を観に行ってきました!

2007/6/1~6/10
【作】坂口瑞穂
【演出・美術】佐藤信
まだ携帯電話が普及していない1970年代の終わり。雨の中。公衆電話ボックス。
絹川は、日本最大のヤクザ組織、黒田組の組長がナイトクラブ・アムールに来るという情報を得る。
実は、二年前に自ら所属する組の会長が、黒田組系傘下の組員に射殺され、その報復のチャンスを狙っていたのだ。
組の指示を仰ぐため事務所に公衆電話から電話するが、なかなか埒があかない。
ついに痺れを切らした絹川は銃を片手に、単身でクラブに乗り込む。
狙撃から一ヵ月後、絹川は千葉県の海岸にいる。
総勢二万人といわれる黒田組と警察から追われながら、そこで知り合った女と潜伏生活をしている。
組からの援助も少なく自首を考えるが、兄貴分から組にも友好団体にも迷惑がかかると止められる。
隠れ家を変えようと、女と別れ、一人で待っているところに元兄貴分が現れる。
そして数日後、腐敗した絹川の死体が発見される。

鉄砲玉というタイトルである程度は予想していましたが、事前情報なしで観たため、実際にあった出来事をもとにしているとは思っていなかったのでちょっとびっくり。
もとの事件とは、もちろんかの有名な「ベラミ事件」。
劇団黒テント:「鉄砲玉」公演 山口組組長襲撃が題材

1978年7月、京都のナイトクラブ・ベラミで暴力団員・鳴海清による山口組三代目組長襲撃事件が起きた。総勢2万人と言われる山口組と警察に追われながら、鳴海は女性と潜伏生活を続けたものの、腐乱死体となって発見された。当時、暴力団の世界では常軌を逸した行動とみられたのに対し、一般社会では鳴海を英雄視し、極道志願の若者が増えた。彼をモデルにした小説、映画なども次々と発表された。
坂口は、この事件を下敷きにしながら、鉄砲玉のヒットマンがなぜそこまで人々の心を引き付けたのか、私たちの世界とは決して無縁でない、鳴海の放った「銃弾」の行方を描き出していく。坂口は73年生まれ。事件発生当時は5歳だった。
出演は山中弘幸、重盛次郎、平田三奈子ほか。

ネタバレだが、くわしい粗筋をダニエルのエンタメ日誌さんがネットに感想とともに載せてくれている。
ダニエルのエンタメ日誌 – 6/2 【芝居】鉄砲玉@黒テント

舞台は左端に電話ボックス、それと大きなポリバケツが2,3個のみという殺風景なセット。
中央に映像を投影できる小さなスクリーンがあり、それで情景など補う仕掛けらしい。
開演前の今は、画面一杯大きく“1978”と数字で書かれている。
そう、今夜の物語は1978年、今から約30年前、実際にあった有名な事件を元に創られたものである。
降りしきる雨の中、電話ボックスに雨宿りの為、座り込む女。
場所はクラブ「アムール」まん前にある公衆電話ボックス。
黒シャツに白いスーツ、一目でヤクザとわかる若い男が、電話をかけにボックスに近づく。
女は妊娠しており、雨に濡れたくない為電話ボックスから出るのを譲らず、一方若いヤクザも、のっぴきならない事情で一刻も早く電話をかけたい。
電話させろ、いや、出ると濡れる、ずっと関西弁の押し問答が続く。
女もヤクザの娼婦で、コワモテの男の脅しにも屈しない。
暫く揉み合ってるうちに女の情夫、高木が登場するが、これが何と電話をかけたい男の昔の兄貴分。
今は下手打って組を追い出されるハメになり、公衆電話にピンクチラシを貼るのが生業である。
電話の男は、日本の暴力団組織の頂点に君臨する「ドン河野」を狙う絹川。
アムールに入った河野を早く撃ちたいのだが、組の幹部に連絡しても、なかなかGOサインが出ず煮え切らない。
幹部の藤崎が現場へ車で向かっているからそれまで待ってろ、と言うのが組の指示だが、何と藤崎の乗った車がパンクして合流できないと言う、信じられない報せが届く。
彼が所属する組の先代組長は、ドン河野の系列、それもずっと下の末端組織に抗争の果て射殺され、絹川は対立する組織、自身もやはりずっと下部団体の下っ端構成組員ながら、この世界では雲の上の存在ドン河野を、2年間ずっと付け狙っている。
アムールが河野の行きつけの店を言う情報を掴んで、自分の情婦もホステスとして働かせており、今日来ることになっている言う情報もその情婦から連絡あったもの。
ようやく見つけた千載一遇のチャンスに、明らかに腰が引けている自分の組の幹部。
現実的な幹部は、さすがにドンを殺ってそのまま自分達が生き永らえるものとも思えず、弔い合戦と威勢のいい掛け声とは裏腹に、見え見えの遅延行為。
いや、内心、もう報復なんて今更、の気持ちが本心である。
煮え切らない幹部にしびれを切らし、車がパンクなどと言う見え透いた言い訳に激昂し、勝手に自身の判断で弾けてしまう絹川。
どうせ河野に届くはずはない、周りを固める屈強なボディガードに捕まるのがオチだろ。
殆どの予想に反して、絹川は固いガードを掻い潜り、絹川の放った弾丸は河野の首に命中する。
蟻が巨象に放った一矢で、絹川は一躍この世界のヒーローに躍り出る。
時代の寵児になり有頂天の絹川だが、現実はそうそう甘くない。
偽名を使い、転々と居場所も変える逃亡生活が続く。
一方、一命を取り留めたとは言え、トップを弾かれ、組織の総力を挙げて報復に向かう「ドン河野」日本最大の暴力組織。
最初は義侠心で匿ってくれた自分の組に友好的な団体も、最強のメンツをかけた執拗な報復に犠牲者は増え続け、徐々に心は離れていく。
狭まる包囲網。
最後は何と、この世界への復帰の土産に、かっての兄貴分高木に裏切られ殺害される。
実は、これ以上の被害者を出さない為、絹川の死体を条件に降伏を決めた幹部藤崎。
藤崎はさらに、「ドン河野」の生贄に差し出すのに、絹川の死体は拷問したように見せかけるよう提案する。
勿論、実際に包丁を持って、死体を切り刻む役割をさせられるのは、仏になった絹川のかっての兄貴分、高木とその娼婦である。
舞台では絹川の殺害後、娼婦の口から、その死体を傷つけるシーンが朗々と描写される。
手首、足首を包丁で切断し、足の爪は剥される。
丈夫だった歯は石を打ちつけられ、ぐにゃぐにゃになった、とうもろこしのようになる。
天女の姿を描いた背中の刺青も、身元がばれないよう皮ごと剥ぎ取る。
包丁での切断シ-ンに合わせ、劇場に響き渡る金属的な効果音。
やけに大きい効果音は、その凄惨な内容も相まって、その都度、ビクっとさせられる。
やがて解体が終わったところで物語はフィナーレを迎える。

※ 言うまでもないが、劇中「アムール」はベラミ、「ドン河野」は山口組三代目田岡組長、
ヒットマン鳴海が絹川である。
史実では鳴海を最後に匿っていた友好団体の組員が殺害したと見られ、尋問には「山口組の激しい報復、圧力に耐えかね、匿っている鳴海が持て余す存在となった」のが動機とあるが、劇中シナリオでは何故か最後の部分を脚色しており、同じ組の先輩、幹部に裏切られた末に殺害され、更にそのあと死体を切り刻まれた、一層哀れで残酷なストーリーとなっている。

ベラミ事件(山口組三代目襲撃事件)とはなにか?という人のためのミニミニ講座。

1978年7月11日午後9時半ごろ、京都市東山区のナイトクラブ「ベラミ」で、部下4人とショーを楽しんでいた山口組・田岡一雄組長(当時65歳)が突然狙撃された。放たれた2発のうち1発は、田岡組長の首を貫通し、全治2ヶ月の重傷。他にも近くの席にいた医師2人も流れ弾にあたり重傷を負った。
撃ったのは対立する松田組系村田組内「大日本正義団」・鳴海清(26歳)。グラスに残された指紋から彼と判った。彼は組長を撃った後、店を出て阪急電車で逃走した。
山口組と松田組の対立は75年頃から続いていた。
そもそものきっかけは75年7月26日、大阪府豊中市で、山口組系佐々木組内「徳元組」の組員が、松田組系「溝口組」の賭場で嫌がらせを続けたため、溝口組員が徳元組員3人を射殺、1人に重傷を負わせたことだった(豊中事件)。
これに対し、佐々木組は松田組の背後にいた大日本正義団・吉田芳弘会長を射殺。鳴海はこの吉田会長を尊敬していたという。彼は山口組に報復を決意、狙うのはトップ・田岡組長だった。
姿をくらませていた鳴海は、大阪の夕刊紙に挑戦状を送りつけていた。
「田岡まだお前は己の非に気づかないのか・・・・・もうすこし頭のすづしい男だと思っていた。でも見そこなった様だ」
「日本一ならば真の親分ならば恥を知る者だ。それを知らぬかぎりしょせん、くすぼりの成り上りでしかない」
「このまま己の力を過信すれば、その過信がお前のすべてのものをほろぼす事になる。それは天罰だ。必ず思い知らされる時が来るぞ」
こうした挑発を受けて、当然のことながら山口組による報復が始まった。松田組系の7人が銭湯・路上・タクシー車内などで射殺されている。
一方、行方が探されていた鳴海は9月17日、六甲山中の瑞宝寺谷で、パジャマ姿の腐乱死体となって発見された。遺体の状態はひどく、10日経って背中の天女の刺青からやっと鳴海とわかるほどだった。
白骨化した遺体にはガムテープが巻かれており、脇腹などに数ヶ所の刺し傷、前歯が折られ、男根や爪もなかった。これは殺される前に激しいリンチを受けていたことを意味する。
鳴海は田岡組長を狙撃する前、妻と愛人を並べて、自身の計画を打ち明けていた。そして自分に万が一のことがあれば、助け合って生きていくようにと伝えた。家族の安全のために妻子を愛人の住んでいたアパートに移していた。
「ベラミ」から逃走した後は、大日本正義団二代目会長と愛人に連れられ、同じ松田組系の「忠誠会」(兵庫県三木市)に匿ってもらっていたという。
10月8日、「忠誠会」幹事長ら3人が鳴海殺しを自供。その動機は「山口組の激しい報復に、持て余す存在となった」というものだった。ところが3人の供述には微妙な食い違いがあった。
11月1日、山口組は記者会見をして「大阪戦争」の抗争終結宣言を発表。
松田組は資金難から5年後に解散した。
90年1月28日、大阪高裁での差し戻し控訴審で、近藤暁裁判長は「客観的な証拠と矛盾し、不自然な変遷も認められる。捜査官の誘導や、作意が疑われ信用できない」と。神戸地裁の一審を破棄、3人の殺人罪については無罪とし、逮捕監禁罪、同幇助罪でのみ懲役8ヶ月~1年を言い渡した。
鳴海殺害の真犯人はわかっていない。

Wikipedia – 鳴海清

鳴海 清(なるみ きよし、1952年 – 1978年)は、ヤクザ、暴力団・二代目松田組系大日本正義団組員。三代目山口組組長を銃撃したことで知られる。 血液型はB型。
実家は大衆食堂で、兄弟は多く、姉が何人かいたという。実の叔父も極道だったらしい。
1975年から続いていた「大阪戦争」と呼ばれる三代目山口組佐々木組と二代目松田組の抗争で、鳴海の所属していた松田組 村田組 大日本正義団の組長・吉田芳弘が1976年10月、大阪 日本橋の路上で佐々木組組員に射殺された(日本橋事件)。これへの報復として、鳴海は山口組組長・田岡一雄の狙撃を計画。京都河原町のクラブ「ベラミ」が田岡の行きつけだとの情報を入手し、数ヵ月前から同店に通い詰めて田岡の来店を待ち伏せた。
1978年7月11日、映画「日本の首領 完結篇」(監督・中島貞夫)を製作していた京都・太秦の東映撮影所を訪れた田岡が、その帰り道に傘下組長や映画関係者を引き連れて同店を訪れた。ダンスショーが終わった瞬間を捉えて銃撃、38口径の銃弾を田岡の首に命中させ、田岡の他に2名を負傷させた(ベラミ事件)。犯行後、阪急電車で大阪方面に逃走。2日後には鳴海の犯行と判明したが、山口組を挑発するような文章を新聞に送り付けるなどしながらも逃走を続けた。
9月17日、六甲山中の谷底で、激しい暴行を受けた形跡が明らかな腐乱死体が発見された。科学捜査で背中の天女の刺青が浮かび上がり、10日後に漸く鳴海本人と断定された。
最後に匿っていた松田組友好団体忠成会の組員に殺害されたと見られたが、これら組員は裁判で無実が確定し、鳴海殺害については真犯人不明のまま時効を迎えた。
なお、鳴海殺害の模様を捉えた白黒・無音声のビデオテープが山口組本部に送りつけられ、田岡らがこれを見た数週間後、山口組は松田組との抗争終結を宣言。この事実は、当時のベラミの経営者が『紙の爆弾』2007年4月号(鹿砦社)に寄せた手記で、山口組幹部らと面識があったベラミのママから聞いた話として明らかにした。多くの幹部が映像を直視できない中、田岡だけは3分ほどの映像をじっと見入っていたという。
この事件は『ドンを撃った男』として小説化され、後に的場浩司主演で映画化された。
ちなみに、この事件後、田岡はママら「ベラミ」の社員を料亭へ呼び、迷惑を掛けたと謝罪した上で「自分を含めて暴力団関係者は今後一切ベラミには入らない」と約束した。「ベラミ」はその後も営業を続けて繁盛したが、経営の中心だったママの死により閉店したという。

Wikipedia情報なのでどこまで事実かわからないが、上記太文字の「鳴海殺害の模様を捉えた白黒・無音声のビデオテープ」の存在を想像し劇化したのが本作の赤字部分だったのではないだろうか。
赤字部分は妙にリアリティがあった。もしかして脚本を書いた人物はあのビデオテープを見たことがあるのではないか?そう思わせるほどに。本作の冊子の各出演者へのインタビューの質問にあった「あなたにとってリアルとは何ですか?」をリフレインしながら僕は観ていた。

スポンサーリンク
レクタングル(大)広告
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーリンク
レクタングル(大)広告

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です